リアルとバーチャル

よくアナログとデジタルが対比されるのと同様に、リアルとバーチャルの融合なんてことも言われている。
いったいこれらの境目はなんだろうか?

バーチャルやネット、デジタル等はコンピュータ上の電気記号に過ぎない。ディスプレイ等に人間の理解できるテキストや画像,動画で表現されるが、これらはその実体があるわけではなく、電気信号を一定の法則に従って人間にわかる形で表しているだけだ。

でも、電気信号は存在する。じゃあリアルなんじゃないの? という考えもできそうだ。
この世に全く存在しないものではないので、確かにリアルと言えばリアルである。
ここで、手に触れられるという点が違う、という考えがあると思う。
しかし、目に見える(視覚)、音として聞こえる(聴覚)ものはバーチャルとして扱うのに、手に触れられる(触覚)ものだけリアルとして扱うのはどうもすっきりしない。
もっと綺麗な分類ができないだろうか?

では、リアルについて考えてみよう。バーチャルではない実存するもの、というなんとなくの認識はあるが、その認識が弱いことは上記によって指摘された。リアルとは何がリアルなんだろう? 実際に存在するものは触ってその存在を確認することができるが、そこにそういった物体があるということが真実かどうかは誰にもわからない。 人間の脳がそうだろうと解析・推測しているだけだ。 そして他人の脳も同様に感じるから、この物質はこういう形でこういう色をしたこういうものであるという共通認識が成り立っているだけである。 

だが、真実はわからない。 本当にそういう形なのかそういう色なのかそういうものなのか。 みなが共通認識としてそう思っているというだけで、実際はみんなが同じ勘違いをしているだけかもしれないのだ。
こう考えるとリアルといっても、そう皆が認識しているだけであって、実際にそのものがその様に存在するかどうかはわからない。ディスプレイやスピーカーを通して表現される電気信号と何が違うんだろう? リアル物質だって単なる情報や信号なんじゃないだろうか?
ただひとつ言えるのは、リアル物質はは人間の脳が直接理解できるということだ。 デジタルデータの様にPCやプログラムの実行環境やモニター等の外部出力機器を必要とはしない。

人間の脳が直接信号を理解できるもの(そして、それが共通認識として真実であるとと仮定されている)。これがリアル物質の正体じゃないだろうか。
一方、バーチャル物質は、同様に信号なのだが、そのままでは人間は理解できない。人間の脳がわかる形(共通認識)に信号を変換してくれる計算機やプログラム実行環境、外部出力機器を必要とする。
たったこれだけの違いなんだと思う。

さらに考えていくと、物質の持つ信号とは固有のものなんだろうか? 人によって受け取り方が違うんじゃないだろうか? その場合は共通認識って何なんだろうか? 真実って何なんだろうか? なんて疑問も湧いてくる。 そのヒントの一つにアフォーダンスという考え方があると思うし、江島健太郎さんが『XMLとアフォーダンス』で、データとプログラムの境界について見解を述べられています。参考にどうぞ。頭がこんがらがってすっきりしないかもしれませんが、こういった哲学の世界に時々浸ると、ビジネスヒントや世の中が見えてくるので役に立ちますよ。