アフォーダンス

リアルとバーチャルについて考えていたら閃いたので、明日の日付で連続エントリです。

江島さんの「XMLとアフォーダンス」に書かれている通り、データとプログラムというのは不可分なものです。一見、分類可能に思えますが、それは情報を扱う主体によって異なります。例えば、プログラムがわかる人ならばプログラムに見えるものも、わからない人にとっては単なる文字列です。更に言えば、文字がわからない人にとっては単なる記号でしょう。
このように、情報というのは本来色々な意味を持っていたとしても、その情報に触れる主体によって意味が変わってきてしまいます。

では、その情報の持つ本来の意味ってなんなんでしょうか? 間違いなく存在するけど対象によって意味を変える、これでいいんでしょうか? なんとなくすっきりしません。 これに対して、ひとつの解を与えてくれるのが「アフォーダンス」という考えです。簡単に言うと、その存在に触れる主体に関わらず、物質は本来の意味を持っており、その意味は不変という考えです。

このアフォーダンスの考えと、変化するという考えのどちらが正しいんでしょうか? 私はなんとなくアフォーダンスが正しいと思います。
なぜなら、人によって受け取る意味がかわるという事実はあれど、その意味は全く異なるものではなく、ある程度系統だっていたり、似通ったものだと思うからです。 つまり、人によって理解が異なるのは、物質自体の意味合いが変わるからではなく、単に意味を十分に理解できる主体とそうでない主体がいるから、或るいは、人によって同じ意味を受け取ってもその解釈が違うからだと思うのです。

物質から意味(メッセージ)を受け取って、それをどう解釈するかは千差万別で、何が正しいとか間違っているとか、十分/不十分はありません。只、物質が本来持っている意味情報は不変なのではないかと思うのです。

そう考えた場合、その本来持っている意味・本質を正しく理解し、正しく使うことが大事なんじゃないかと。
これは単に物に対することではなく、人間・自分自身についてもそうです。 自分の本質、これを理解して正しく活用できる様にすること、これがいわゆる「自分探し」なのではないかと思います。 他人の本質を理解して接して上げること。これが思いやりや愛情なんじゃないでしょうか。
この本質を理解すること、理解しようとすること、理解して正しく動くこと、これが素敵な人生を送るコツなんじゃないかと思います。