続々・バカの壁を読んで

引き続きもう少し「バカの壁」についての感想です。

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

・サラリーマンというのは給料の出所に忠実なのであって、仕事に忠実なのではない。職人は仕事に忠実じゃないと食えない。自分の仕事に責任を持たなくてはいけない。


・学問というのは、生きているもの、万物流転する変わるものを、いかに情報という変わらないものに換えるかという作業。この能力が最近の学生は低いが、逆にいったん情報化されたものを扱うのはうまい。コンピュータの中だけで物事を動かしているようなもの。情報ではなく自然(=人?)を学ばなくてはならない。


・意識的世界なんていうのは屁みたいなもので、基本は身体です。身体がダメでは話にならない。


・テレビのニュースで母国語が流れているのを赤ん坊に聞かせると言語中枢が反応している。テープを逆に再生すると、全く反応しない。
まだ言葉を覚えないうちから、言葉と無意味な音を区別している。


・思考停止を招いている状況、あべこべの状況等、現代人はいかに考えないままに、己の周囲に壁を作っているか。大事なことを考えない様になってしまっている。


・家庭の主婦の家事労働は遥かに楽になった。色々大変なことがあるのはわかるが、取り敢えず暇な時間が増えたのは間違いない。そこまで女性を暇にして、女性に対して次に何を与えるか。あるいは女性がその暇を利用してどういうことを作り出しているか。ただ楽になっただけなのだが、面白いのは暇なオジサンはぐったりしているのに、奥さん達は元気。やるべき家事は少しはあって、そのために身体を動かしているのが男(退職して暇な男)との違い?


・学者は、人間がどこまで物を理解できるのか、言い換えると、人間はどこまで利口かということを追いかける作業をしている。政治家は逆に人間はどこまでバカかということを読み切らないといけない。
相手を利口だと思って説得してもダメ。どのくらいバカかということが見えていないと説教、説得はできない。相手を動かせない。政治家はつとまらない。学者と政治家にはこういう違いがあるから、学者が政治をやってもうまくいかない。


・欲をほどほどにせい、というのが仏教の一番いい教え。誰でももっていて、それがなければダメなんだけど、野放図にやるのはダメ。


・食欲や性欲は一度満たされると取り敢えず消える。人間の脳が大きくなったために金欲等は際限がなくなった。本能的な抑制が効いていない。この種の欲には何らかの制限をつけなければいけないのかもしれない。欲望が抑制されないと、どんどん身体から離れたものになっていく。武器やお金など。その方向に進むものにはブレーキがかからない。


・金は、都市同様に脳が生み出したものの代表。脳に似ている。脳は刺激がどこからはいっても全部単一の電気信号に変換する。お金もどこからはいっても1円は1円。どのように稼ごうが同じ金。金の世界はまさに脳の世界。金ぐらい、脳に入る情報の性質を外に出して具体化したものはない。金の流れは、神経を刺激が流れているのと一緒。流れをどれだけ効率よくしようかと考える点も一緒。昔は金で何を買うという風に金と実物が結びついていた。今はどんどん遊離していって信号のやり取りだけになっている。


・経済には実体経済の他に虚の経済が存在する。
金を使う権利だけが移動しているということ。
実体経済にも穴があって、政府が自在に印刷できる点。1万円が通用するのは皆が1万円が通用すると思っているから。この「と思っている構造」が続く限り、いくらでも刷ることができる。岩井克人氏が「貨幣論」のなかで「貨幣は貨幣として使われるものである、というよりほかにない」と言っている。


貨幣論

貨幣論

(もうちょっとだけ続く)