続々々・バカの壁について

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

最後にあと少し『バカの壁』について

・「花見酒経済」にならないように注意。
お金は動いているのに、どんどんなくなっていく。
エネルギーが消費され、環境が壊されていく。


・都市というのはエネルギーがないと成り立たないのだから、1貨幣単位を1エネルギー単位にするのがよいのでは。


・意識と無意識、脳と身体、都市と自然、全て二言論。


現代社会の2/3が一元論者だということに注意しなければいけない。
一元論は必ず崩れる。男がいれば女もいる、でいい。
短期的には一元論の方が強い場合もあるけど。


・自分が100%正しいと思っていることでも寝ている間の自分の意見は入っていない。その1/3があるし、間違えることもある。完璧だと思ってもせいぜい50%。


バカの壁というのは一元論に由来することがある。壁をつくって向こう側が分からない.向こう側があるということにすら気づいてない。


・一元論の根本には自分は変わらないという前提がある。だがこれは変わる。


・一元論と二言論は宗教でいうと一神教多神教。それは都市宗教と自然宗教の違いでもある。


・楽をしたくなると一元論になりやすい。y=axのaを固定して何も考えない思考停止状態が一番気持ちがいいから。(だがそれはダメ。aを固定せずに考えよう。衰えちゃうよ。)


・人生は崖を一歩ずつ上るようなもの。大変だけど上ることでしか見えない世界がある。今の人は知ることによって今までと世界の見方が変わるということがわからなくなってきた。


・「人間であればこうだろう」という常識が普遍性を持つものなのでは。(バカの壁、人の壁を超えるものでは)


・「わかる」「話せば分かる」「絶対の真実がある」と考えると一元論に落ち易い。壁の中にすむことになり、楽だけど、壁のむこう、自分と違う立場のことはわからなくなる。


脳は共通化を求める、それが、言語。頭の中で考える「an apple」と明示的な「the apple」。脳の方は「イデア」。いや、各々の人が考えるのはイデアのサブセットみたいなものだから、別の所にイデアはある!? イデアとそのサブセットはクラスとインスタンスみたいなものか。サブセット同士で会話、コミュニケーション、共通化を求める行為をする。それでもつながるのは、お互いにイデアを意識しているから。お互い同じイデアについて話していても異なるサブセットを使っていることをわかっていない、この状態がバカの壁ということだろうか!? 検索エンジンとはWebの情報からイデアを求め、定義し、サブセットのリクエスト(キーワード、query)に対してそれを返すとう行為なのかもしれない。究極のイデアを返せるようになったら、究極の検索エンジンなのかもしれない。

去年からベストセラーになっている「ダ・ヴィンチコード」によるとキリスト教一神教ではなく、多神教になりますね。そういえば、「バカの壁」にもカトリック多神教に近いというようなことが書いてありました。元々ローマ時代の多神教を取り入れていますからね。「ダ・ヴィンチコード」の話はもっとすごい秘密があるのですが、伏せておきます。こちらをお読み下さい。最高のストーリー。アドベンチャーであり、ロマンスであり、サスペンスであり、歴史スペクタクルです。


ダ・ヴィンチ・コード〈上〉

ダ・ヴィンチ・コード〈上〉

ダ・ヴィンチ・コード〈下〉

ダ・ヴィンチ・コード〈下〉