中田英寿(ヒデ)の著作権に対する抵抗

wanwangorogoro2006-08-10

 日経新聞の『NAKATAルネッサンス』に、中田選手と著作権についておもしろい記事がありましたので、引用します。

by 日経新聞2006年8月9日『NAKATAルネッサンス』(武智幸徳さん)

 さかのぼれば、戦端は「肖像権対著作権」で開かれた。ある時、自身のサッカー観を素直に吐露した高校時代の映像を使おうとしたら著作権は取材したテレビ局にあり、思うに任せなかった。逆に、若き日にバラエティー番組に出演した時の姿を封印しようとしても本人の意志とは関係なく「お宝映像」としてテレビの中で何度も使い回される。
 映像の中にいるのは紛れもなく自分。しかし自分にはコントロールできない。なぜ?
 「そういうものだから」とう説明は中田には通じない。最終的にその疑問とジレンマを解くために行き着いた先は自分のテレビ番組をCS放送に持ってしまうことだった。地上波での露出は控え、どうしてもという要望には自前の取材カメラで映し撮ったものをテレビ局に貸与する逆転の発想で応じる。いわば情報も川上から川下までをがっちり押さえ込み、中田という”原盤”を徹底的に保守する戦略に出たわけである。

自分で撮影したものをテレビ局に貸し出す、というのはすごい発想ですね。放送局の水平分離論(インフラ・PFとコンテンツ製作・編集を分離すべき)はテレビ局側の抵抗にあってなかなか進みませんが、中田選手は自力でコンテンツ製作(撮影・編集)することで著作権を自分で持ち、テレビ局の力を分断したわけです。

この記事を読んで思ったんですが、YouTube著作権問題が色々と言われているものの、著作権だけでなく出演者の肖像権も考慮しなくてはいけないですねぇ。中田選手の例を聞くと、そもそも現在の著作権と肖像権のルールが皆が納得するものになっていなかったことがわかります。

インターネットによって、著作権等の問題が大きく取り上げられる様になったわけですが、これは決してネガティブなことではなくて、よりよいルール作りのためのいいきっかけにできると思います。従来は出演者一人一人の肖像権や著作権著作隣接権、放送、通信内容を完璧に管理するのが困難だった訳ですが、現在のインターネットやデータベース技術を使えば可能になったのですから。

それが専用のシステムで行われるべきなのか、もっと緩くYouTubeのタグの様にCGMを使って行うべきなのか、あるいはGoogle等が開発しているとされる動画検索技術を使うべきなのか、答えはこれからだと思いますが、世の中のルールはドンドン良くなってきていると思います。インターネットによってしあわせをつくりたいですね。