著作権を逆にしてみよう♪

 今日はCreative Commonsで有名なLawrence Lessig教授(ローレンス・レッシグ)さんのコメントについて。

by CNET Japan「フリーカルチャーのための戦いは、フリーソフトのための戦いよりも厳しい」


 Lessig氏の世界観では、弁護士、ロビイスト、政治家らは、「read-only」の文化的コンテンツの世界を構築している。「(そのような世界の)文化は、ポテトチップスと同様に、消費される一方で創造されない」と同氏は語る。これに対し、インターネットは、人々が情報交換しながら共同で製作し、リミックスした「read-write」コンテンツを育てている。

 「著作権法は、恐らくread-writeのインターネットの世界と衝突するだろう。(著作権法の下では)コンテンツを使用する度に規定された許可を得なければならない」(Lessig氏)

 いやー、上手い表現をするなぁ、と世界の大教授に向かって言うのも失礼ですが、いい表現だなぁと感心させられます。
既存の「read-only」という世界は、いわゆる著作権法のことで勝手な二次利用を禁止している世界、「read-write」はインターネットでの再利用可能なコピーペースト文化やマッシュアップ世界のことです。

 両者の違いは、アーティストの権利や誇りといったものより、お金の影響が大きい気がします。だって、「read-only」な人達がこだわるのは、タダで利用されたくない、っていうのが大きいでしょうから。後者の方が『創造』という面ではもちろんいいと思いますが、お金が動きやすいのは前者ですよね。さて、どちらが正しいのか、いや、リアルとバーチャル(ウェブ)で異なる気がするので、どちらが向いているんでしょうか?

 私が何かを判断する時に参考にしている指標として、『どちらが楽しいのか?』というものがあります。正しい、正しくないではなくて、楽しい、楽しくないで判断すると、案外うまくいくものだからです。

 となると、このケースでは、どっちが楽しいでしょうか? 金銭的に困っていなければ、後者の方が楽しそうですよね。でも、お金に困っていればやっぱり前者にしないと楽しくないかもしれません。

 じゃあ、こういうのはどうでしょうか。 いわゆるアーティスト、クリエイターさんは有名な人ほどお金持ちなので、そういう人は「read-write」ルールで提供する。誰でも知っている有名ミュージシャンや著名な作家さんはこれです。一方、まだ有名じゃないインディーズさんは、「read-only」ルールで提供する。これなら金銭的な問題は解決できそうです。

 有名な人の作品がタダなのに、無名な人の作品が有料で売れるわけないだろう、という意見もありそうですが、本当にそうでしょうか? 無名と無価値は違います。まだ著名じゃないだけで、とても才能のある作品であるならば、お金が動いても不思議ではありません。ごく一部の超有名人(既に十分お金持ち)の作品はオープン(read-write)にして世界の創造性向上に貢献してもらい、そうでないものは有名になってもらうまで(お金に困らなくなるまで)クローズド(read-only)にする。こんな案が意外とうまくいくのではないかという気がしています。

要するに、『既にエスタブリッシュメントな人達こそ、できるだけオープンにして世の中にフィードバックしようよ!』、という考えです。
今の世の中は逆なんですよね。エスタブリッシュメント既得権益者)がガチガチに権利を主張していて、無名な人がオープンを叫んでいる。これ、一度逆にしてみませんか?