ワールドカップ決勝がつまらない理由

 今日は、今更ながらワールドカップサッカーについて。

最近、BSテレビでワールドカップの再放送をやっているのを見ていて感じたのだが、お客さんに一見さんが多い。要するにサッカーをあまり知らない人達だ。ワールドカップともなると、にわかファンが増加するので、仕方のない一面でもある。

そういう人達はお金持ちだったり、スポンサーから入手したりと、サッカー好きであるかどうかとは関係ない理由で試合を観戦している。いきおい、そういう観客が多い試合は、応援や歓声(ブーイング)のレベルが下がり、試合が浮いた雰囲気になりやすい。これがワールドカップ、特に決勝戦等のビッグマッチのレベルを落としている気がする。

では、この理由を定量的に見てみるとどうだろうか? こんな図がある。

by W杯チケットはどこへ消えた? 肥大化する”関係者”への配分



FIFAワールドカップのチケットは一般のサポーターには全体の30%程度しか配分されない。これでは、何のルートもコネクションも持たないサポーターがチケットを入手するのは非常に困難である。
(中略)
。開幕戦や決勝戦は、VIPや関係者の数が特に多く、一般のサポーターの姿はスタジアムの中にない。ワールドカップの観客が70年代〜80年代の熱狂を失い、一部の特権階級の集まりに見えてしまったのは、筆者一人ではあるまい。

ちょっと呆れた数字だ。該当国のサッカー協会への配分がそのままサポーターに販売されたとしても、半分も一般サッカーファンに渡らない事になる。更に言えばその中で、いわゆる本当のサッカーファンの取り分は更に少なくなる。これでは観客の質が下がるのも、試合のレベルがイマイチになるのも当然だ。



で、この問題の詳細な分析は本サイトにあるのでそちらにお任せするが、これをウェブに当てはめてみるとどうなるだろうか?

トラヒックに大きな影響を与えるのは大手ポータルサイト検索エンジンだ。こういったサイトで紹介されたり上位に表示されるのは、サイト内容が大きな影響を与えるのはもちろんだが、商業的な力によって表示されることも可能だ。
関係者(そのサイトの関連サービス)だったり、スポンサー(バナー広告)になったり、広告を出したり(検索連動広告)といった方法だ。これってサッカーチケットの問題とそっくりだ。

本当の実力、貢献度、中身だけでなく、商業的な影響力が大きくなってきている。それさえあれば、中身がなくても、表示できることになる。サッカーで言えば、サッカーを知らなくても、ミーハーでも、にわかでも、お金や人間関係さえあればチケットを入手できるというものだ。

これっていいことなんだろうか?

当然、行き過ぎると問題をきたす。だが、商業的な面によってポータルや検索エンジンが潤い、開発が進み、結局利用者が恩恵を被っているという一面もあるので、一概に批判はできない。要はバランスだろう。中身もお金も両方大事だ。両方必要だ。

サッカーでは、そのバランスが崩れて来ている。ウェブでは、YahooやGoogleはそのバランスを保ち続けることができるだろうか?

Googleでは、サイトの中身や被リンクだけでなく、サイトの歴史まで考慮していると言われている。また、広告表示も単に賭け額が高いサイトを上位に表示するのではなく、その広告サイトの中身の質を考慮していると言う。このバランスが崩れないことを願いたい。たのむぞGoogle