無料と有料どっちが正しい?

今日はインターネットの本質にも関わる『無料か有料か?』というテーマについて。

最近梅田さんのブログでも話題になりましたが、カリフォルニア大学(UCバークレー校)が無償で授業をGoogleVideoで公開し始めました。
日本でも東大がPodキャストで講演を配信したり、そういった動きが続いています。

こういった動きは、梅田さんが言う様に僕もうれしくってしょうがないのですが、果たして無料と有料とどちらが正しいんでしょうか?


GoogleVideoやYouTube等の(ほぼ)ノーコストで動画を全世界に配信するプラットフォームができたので、授業を公開することによる追加のコストは撮影器具の費用と撮影してアップロードする人の人件費くらいでしょう。
むしろ、無料公開することで大学の良さを知ってもらい、先進的ブランドイメージを高め、結局は優れた入学希望者が増えることで、利益として返ってくる可能性も高いと思われます。

しかし、逆に『ネットで授業をタダで見られるなら別に高いお金を払って入学しなくてもいいや』という人が大勢でてきて、結局大学にとってマイナスになっても不思議はありません。

これを『結局プラスになる』と判断しているから無償公開しているのだと思いますが、それは何故かというと、良くも悪くも学歴というのは実力ではなく卒業証書を持っていることの意味が大きいからではないでしょうか。
あらゆる授業をネットで受けられる様になったと仮定します。その場合、きちんとそれらを学習して実力を身につけた人よりも、実際に入学して授業はほとんど受けなかったけれど卒業証書はなんとか取得した人の方が、評価されるケースが多いと思われるからです。(良い悪いは別として。)
だから、絶対に授業を無償公開しても大学にとってマイナスにはならない。ということではないでしょうか。


何が言いたいかというと、無償で公開しているからすばらしいのではなくて、無償で公開してもマイナスにならない世界ができてきた(配信コストが著しく下がった)ことがすばらしいと思うのです。
何でもかんでも無償公開すればいいとは思いません。無償で公開することが結局プラスになるという判断が伴ってこそ意味があると思います。
一昨日のエントリ『破壊的技術で利益が下がるようじゃダメ』でも書きましたが、何でも安く無料に近づければいいわけではなくて、きちんと利益(価値)を生み出す必要があると思います。
お金を払ってもらえるだけの価値があるのに払ってもらわないのは、結局、長期的マクロ的に見ると良くないことだからです。


今回の大学の授業公開のケースの場合、仮にこの影響による収支はマイナスだったとしても、それによって世の中全体の知的生産性が上がり、長期的にみれば大学にとって国にとって世の中にとってプラスになる可能性もあるわけです。
どこまで長期的に考えるか、どこまでマクロ的に見るか(広く見るか)によるので、無料か有料かいくらにするのか判断は難しいわけですが、この『値決め』こそがやっぱり経営者の一番重要な要素のひとつで、UCバークレーの判断は現時点ではとてもすばらしいのではないかと思います。