GoogleのYouTube買収に感じる寂しさとこれから

今日はYouTubeによるGoogleの買収の話題で持ち切りでした。


ラウンドアップ:グーグル、ユーチューブの買収に合意--買収金額16億5000万ドル - CNET Japan

テキストはGoogle、ショッピングはAmazon、音楽はiTunes+iPod、コミュニケーションはmixi(世界的にはMySpace)、そして映像はYouTube、どんどん勝者が決まっていって何か寂しい思いをしているのは僕だけでしょうか。

なんだか無限の可能性とチャンスが光の様に広がっていたウェブの世界がどんどんはっきりと確たるものになっていってしまって寂しい気がしています。
もちろん、どんどん便利に、ますます楽しくなっているんですが、何か混沌とした雰囲気がないというか。


世界がまだ十分に明らかになっていない時代の昔の人達は間違いだらけの世界地図を見ただけで宝物に触れた様な気分だったと思うんです。大航海時代冒険者達はまだ見ぬ世界に思いを馳せてチャレンジをしていったんだろうな、と思います。
ところが、世界地図が既にわかっていると、どうにもおもしろさが失われてしまう。贅沢を言っているだけの様な気もしますが、なんだか寂しい気がしてしまいます。

今日の梅田望夫さんのエントリで、『「こんなものゼロから作れば俺たちの方がいいものが作れる」という「天才的技術者の発想」より遥かに上位のところで、Googleがきちんと「正しい経営判断」を下す会社になったんだなぁ、ということである。』というくだりがありますが、なんだかGoogleが混沌を選ばなかったのが寂しいなぁ、という気がしてしまいます。 先日のエントリ『GoogleのYouTube買収は正しいか?』で書いた様に、『ネットワーク外部性』が強く働く分野なので、買収の経営判断は正しいと思います。だけど、何か寂しい。『これ以上のものを創り出す』という判断がなされなかったことが寂しい。何かが決まってしまったというのが寂しい。もちろんこれで終わりではなくてこれからどんどん改善されていくのだろうけれど。


何かもっと新しい風をウェブに運びたい。こんなにまだ広い世界があったんだ!、という喜びをウェブの世界に与えていきたいと思います。


#追記
決まってしまったのが寂しい、と書きましたが、決まってしまったと思うこと自体がダメでしたね。GoogleYouTubeで確定!と思っていた自分がダメでした。GoogleYouTubeと一緒にやっていくという道を選んだ、というだけで、これからもっと楽しくなるわけですし、楽しくするのは彼らではないかもしれません。まだまだもっともっとの精神でいきたいと思います。