人工物と自然とネットと?
先のエントリで、『世界は人工物』という様なことを書いた。
目にするもの、手にとるもの、着るもの、色々なものが全部誰かのつくったものだなんて、ちょっと気持ちわるい感じがしている。
疲れているのかもしれない。
こんな時は、ちょっと自然に触れたい。人の手が入っていない自然に触れることで、感覚のバランスが取れる気がする。
ベストセラー「バカの壁」で、養老孟司さんが、自然と人工物について何か似た様なことを言っていた気がする。都会の様に自然が少ない所に住んでいると常に誰かの世界の中にいるようだ、みたいなことを。ちょっと違うかもしれないが、最近そう感じてしまう。
もっとも、多くの自然にも人間の手が関わっているだろうし、逆に、人間自体が自然の一部と考えることもできるのだけれど。
古くから芸術家は人工物ではなく自然を絵の対象としてきたけれど、それはやっぱり誰か他人が創った人工物ではなく自然そのものを捉えたかったからじゃないだろうか。
その絵も結局人工物なんだけれど。
人工物を意味する「artificial」と芸術を意味する「artistic」が似ているのはどうしてだろうか? 芸術は結局人工物の範疇という意味か。
自然そのものの美しさや価値はなんと表現するんだろう。それが「natural」「nature」だろうか。
ネットはまさにartificialそのものだけれど、もっとnaturalな要素が欲しい。その方がバランスが取れて素敵なものになる。緑ひとつないオフィス街より、やっぱり緑があった方が素敵だから。