ちょっと待った! 国産検索エンジンプロジェクト


巷で話題になっている国産検索エンジンについて。Google等の独占に危機感を覚えた経済産業省が音頭を取って、独自エンジンを開発しようというものです。

試み自体はすばらしいと思うんですが、いくつか気になる点があるので説明します。

  1. 志が低い
  2. 儲からない
  3. 検索の本質からちょっとずれている

の3つです。



まず、『1. 志が低い』とはどういうことかというと、この国産検索エンジンを作るモチベーションが低いと思うんです。

例えば、『国産検索エンジンはなぜ必要なのか?--経産省担当者に聞く』に次の様にあります。

by CNET Japan『国産検索エンジンはなぜ必要なのか?--経産省担当者に聞く』


他人が作ったものの上に乗っかるのと、自分が一から作れるというのとでは、産業の利益構造からして違います。PC産業でIntelMicrosoftが大きな利益を上げたのと同じことです。

 たとえばGoogleも、Google Financeなど検索技術を核にいろいろなサービスを展開しているところに凄みがある。ところが日本の場合、Googleのように大規模な情報を蓄えて必要なものを抜き出すというような技術がまずない。ここに危機感があります。

 大規模なデータを処理するコンピュータ基盤や検索技術などは情報化社会を支える技術として、真剣に考えていかないといけない。そうでないと、海外のものを導入して生きていくようになります。

これはこれでわかるんです。ただ、これって研究者が数年数十年の人生をかけて取り組むのに十分な理由でしょうか?本当に偉大な成果をあげるには大きな志が必要なんです。
Googleが掲げている『Google's mission is to organize the world's information and make it universally accessible and useful』の様な。
Googleは決して、広告ビジネスの利益のためにやっているわけでも、米国が世界をコントロールするためにやっているわけでもないんです。
この志の違いが結局成果に現れてくる気がします。

また、Googleが他の独占企業と異なるのは、愛されていることなんです。特に先端層や検索関連の研究をしている人達に。
国策、国力のため、というのもわかるんですけど、肝心の研究者の人達はGoogleを尊敬し、愛しているので、なかなか打倒Googleという気持ちにはなりづらいのではないかと思います。



次に、『2. 儲からない』です。
検索業界は今最もホットでビッグマネーが動く世界です。検索関連企業や研究者はもちろん学生までGoogle、Yahoo、msnの3強に勧誘を受けています。
国策は重要かもしれませんが、金銭的なメリットが薄いとなると『Google行った方が儲かるし、環境もいいじゃん』ということになりかねません。つまり、人材面、モチベーション面で問題があると思います。上の1と矛盾するということではなく、志とお金や環境の両方が大事だという意味です。
何か大きなことを成し遂げるにはそれなりの大きなリスクや努力が必要で、それを賭けてもらうためには、それなりのリターンがないと難しいのではないかと思います。



最後に、『3. 検索の本質からちょっとずれている』です。

文中にこうあります。

by CNET Japan『国産検索エンジンはなぜ必要なのか?--経産省担当者に聞く』


今後、検索の領域はテキストだけでなく、映像やセンサー情報、リアルタイムで起きていることの情報などに広がっていくと考えています(図)。ここの検索はある意味で、まだ始まっていない戦いです。
(中略)
 実際に開発した画像検索技術をウェブの検索サービスに生かすといったことはもちろんあると思っています。ただ、我々が想定しているのは、どちらかというと広告や医療、教育などの分野です。

 広告の分野では、テレビの映像中に映った商品画像を識別して、商品販売サイトに誘導するといったことが考えられます。

 医療の場合はレントゲン画像など大量の画像が存在するにもかかわらず、そのデータを時系列的に整理するような取り組みはまったく進んでいません。しかし、これが実現すれば、いろいろな診断に使ったり、同一症例の経過観察をしたりといったことが可能になる。こういった画像のマイニング技術は多くのベンダーが求めているところでもあります。

 教育の分野では、今後、団塊の世代が大量に退職する時代が来て匠の技を残していくときに、いままでは「あうんの呼吸」でやっていたものを画像や映像で伝承するようになるでしょう。

 それから、証券取引などの分野では、いまGoogleがやっているように一度データを格納して検索するのではなく、データをサーバに通過させながら異常取引を検知するというような、リアルタイムの検索が求められてくる。

 また、センサーネットなどが広がっていけば、コンビニのPOSデータやトラックの配送状況だけでなく、どのトラックに今どんなものが積まれていて、どういう状態にあるかというようなこともリアルタイムに分かるようになる。これを活用して物流の最適化を図るといったことも起きるでしょう。

 このほか日本が強い分野、たとえば情報家電に搭載するとか、ものづくりの強化に使うといったことも考えられます。

これはこれでわかるんです。どの利用例も大切だし、将来的には当たり前になるでしょう。けれども、検索エンジンがどうしてここまで注目されているかの本質からどこかずれている気がします。
Google創業者のLarry Pageがこんな言葉を言っています。『Searchはユーザが自分の求めるものを機械に伝える瞬間なんだ!』と。
検索がここまで注目されるのは、検索とはニーズそのものだからです。単に大量の情報から求めるデータを見つけるというだけのものではないんです。検索とは人々の心の叫びに応えるものです。
音声、画像、映像の認識や検索。その利用シーン。無数にあるでしょう。でも、本質を捉えていない気がします。
検索の本質はニーズです。ニーズとは心です。人の心は何でできているでしょうか?
僕は言葉が大きな部分を占めると考えています。人間は感覚的に物事を考えている様でいても、考えている内容を整理するには必ず言葉を利用していると思うんです。
言葉なくして心に応えることができるでしょうか。
もちろん、言葉の要らないコミュニケーションもありますが、どっちが大きいでしょうか? どっちが多いでしょうか?
僕も検索エンジン研究者の端くれですが、テキストキーワードという検索インターフェースは何よりも人の心とやり取りしやすいものだと思います。


せっかくのいい活動だと思うので、これらの点をもう少し考えてもらえないかな、と思います。
おっしゃられている通り、日本の検索研究の歴史は長く、画期的なものが多々あります。namazuを作られた馬場肇さんなんてすばらしいの一言です。
志と環境と検索の本質。これを大切にしてもらえればな、と思います。


改訂 Namazuシステムの構築と活用

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